我が国公的年金制度の歴史と発展

公的年金制度は社会経済情勢の変化に対応し発展してきた。

最近は人生100年時代の到来と共に老後の所得保障の中核をなす公的年金制度に対する期待と不安が入り交じって議論されるケースが増えている。
そこで字数の関係もあり三回にわたり公的年金制度のこれまでと、現在、そして将来について見ることにする。

我が国の年金制度は今から144年前に海軍軍人への恩恵的な年金制度として明治8年に⎾海軍退隠令⏌がはじまりである。その後、官吏、教職員、警察官を対象に整備されていった。
そして、大正12年には⎾恩給法⏌に統一された。
一方、民間の年金制度の始まりは昭和15年に、戦時体制下での船員の医療や労災保険も含む⎾船員保険法⏌の施行がはじまりである。

昭和17年には工場で働く男子労働者を対象に⎾労働者年金保険法⏌が施行された。
そして、昭和19年には適用範囲を男子事務員、女子労働者にも拡大し名称も⎾厚生年金保険法⏌に変更された。

その後急激なインフレにより制度の見直しが行われ、昭和29年に厚生年金保険制度の抜本的な改正を行い再スタートする。
昭和34年には無拠出の福祉年金制度が開始され、昭和36年には農業、漁業、自営業者を対象に国民年金制度が創設され、国民皆年金制度が発足する。
この頃までは公的年金制度の創設期であった。

したがって、この頃は一部の恩給受給者を除き現在のような年金額を受給する人はいなかった。一方、我が国は昭和30年代から40年代にかけて高度経済成長期を迎え、東京オリンピックの開催、いざなぎ景気、個人消費も旺盛で3C時代を謳歌する。

このような情勢の基で年金の給付水準の引上げの要請も高まり、昭和40年には1万円年金、昭和41年には厚生年金基金制度の導入、昭和44年には2万円年金、昭和48年には、5万円年金、物価スライド制の導入(現役時代の給料を現在価値に修正して年金額を計算する再評価制度)等の法律改正が行われ、まさに公的年金制度の発展充実期を迎える。

昭和50年代後半になると、我が国は諸外国にも例を見ないスピードで高齢化社会へと移行する。一方、産業構造、就業構造も変化してきた。このような社会経済の変化に対応し、年金制度を長期に亘り健全かつ安定的に運営していく必要性が出てきた。
すなわち、国民年金、厚生年金、各種共済年金等それぞれ分立した制度ではその運営基盤が不安定になる。一方、制度が分立していることにより、制度間の不均衡や過剰給付、重複給付等の調整が行われないと、長期的に安定した制度運営が行われないことも分かった。

このような状況の下、昭和60年改正が行われた。その主な内容は、全国民共通の⎾基礎年金制度⏌の創設と給付水準の適正化で、制度の成熟期に加入期間が40年に伸びることを想定し、年金額を計算する場合の給付単価、支給乗率を段階的に逓減することとなった。

その後、平成6年改正では、60歳台前半の老齢厚生年金の定額部分の支給開始年齢を平成25年までに60歳から65へと引上げる。
平成12年改正では、老齢厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢を60歳から65歳へ平成37年までに段階的に引き上げることとなった。
その他、厚生年金への加入年齢を65歳から70歳へ引き上げることも行われた。

そして、平成16年改正では、基礎年金の国庫負担割合を1/3から1/2へ引上げる。厚生年金の保険料率を平成16年から0.354%ずつ毎年引上げ、平成29年度以降は18.3%で固定する。
賃金の動向や労働人口等社会全体の保険料負担能力の変動に見合うよう年金改定率を調整するマクロ経済スライドの導入が行われた。
平成に入り年金受給者も増加の一途を辿ると共に加入期間の増加に伴い年金額も高くなっている。すなわち、公的年金制度にとっては成熟期を迎えている。

そして今後は少子高齢化がますます進行していく状況からマクロ経済スライドによる年金額の調整が行われるので、現役世代の手取り賃金に対する年金の水準は次第に低くなっていく状況である。

このように見てくると、現在の年金受給者は制度の上から見ると最も恵まれていると言える。昨今は、年金給付費の約7割は現役及び事業主の納めた保険料収入によって賄われている状況で、懸命に支えてくれている現役世代に感謝の気持ちを忘れてはならない。

※本原稿は日本介護事業連合会の会報誌へと寄稿した掲載内容となります。
次回は10月に掲載を予定しております。